湯浅宮内庁長官は2003年12月、秋篠宮家に「三人目を強く希望したい」と発言。紀子妃はこれを受けて、男子懐妊のための産科治療を開始します。2005年12月には国民を驚愕させた「こふのとりの歌」を詠み、翌2006年2月にはNHKが「妊娠6週」を速報しました。愛子さまの皇位継承を可能にする皇室典範改正案(通称:女帝法案)は、この懐妊スクープにより頓挫したのです。
このトピックでは、女帝法案を潰した懐妊が男子受精卵の着床前選択によるもの(生命倫理に反するとして日本では許されていない産み分け法)であり、同時に「皇室による政治介入」であったことを、状況証拠を集めて明らかにすることを目指します。
なぜ状況証拠かといえば、医師の守秘義務により「証明」は絶対に不可能だからです。証明不可能であることを盾に、また皇室という聖域であることを盾に、これほど大きな意味を持つ不正を看過していいのでしょうか。もしそれが事実であれば、生命倫理違反で誕生した男子が日本国の象徴となることを、国民は容認できるのでしょうか? 男系男子派は、その方法を用いて男系が継承されていくことを望むのでしょうか?
男子偏重が引き起こした「着床前性別選択」と、公営放送であるNHKが介在して行われた「皇室による政治介入」。この2つは、これからの時代の皇位継承を考えていくうえで避けては通れない問題であるはずです。しかし、マスメディアはこの重要問題についてとりあげたことはかつて一度もなく、学者も言論人も正面から論じた人は一人もいません。このままでは、皇位継承をめぐる議論は、現実から目をそらした、実の無いものとなってしまうでしょう。
このトピックは、一般庶民が入手できる範囲の情報を持ち寄って、可能な限り、傍証を固めていこうとするものです。ネットの片隅から、いま進められている皇位継承に関する論議に、異議申し立てをしようとするものです。もしここを読んでいるあなたが少しでも関連情報をお持ちであれば、どうぞコメント欄に書いて教えてください。事実関係を明らかにしていくために、お力添えを、お願いします。
まず、2003年の湯浅発言からの流れを見ていきましょう。
【1】湯浅長官「第三子発言」から、懐妊スクープによる国会頓挫(女帝法案潰し)へ
■2003年12月:湯浅利夫宮内庁長官「秋篠宮家に第三子希望」発言
湯浅長官は2003年12月、「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、三人目を強く希望したい」と述べた。この発言の意味は重い。「三人目」が女子であってはならず男子を指していることは疑いない。また、宮内庁長官といえども一役人が独断で言えることではなく、両陛下の意思を代弁した言葉であることも疑いない。つまり、両陛下が男子出産を弟宮夫妻に希望し、それを公にした、ということである。両陛下が「男の孫が欲しい」と秋篠宮に直接、内々で言えば済むはずのことが、長官に会見で言わせ「公けにした」のはなぜか? 雅子さまはこの長官発言に強い衝撃を受け、以後、長期療養に入られた。いっぽう紀子妃はこの長官発言を受け、愛育病院で(男子懐妊のための)産科治療を開始したのである。
■2004年5月:皇太子さま「人格否定発言」
皇太子さまは2004年5月、欧州歴訪前の記者会見で、「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言。雅子さまの海外訪問が制限されていたこと(籠の鳥状態にあった)などがクローズアップされ、国民の同情が集まった。世論の批判はもっぱら宮内庁役人に向かったため、東宮ご夫妻は以後、宮内庁を敵に回すことになったとも指摘された。
■2004年11月:秋篠宮による「皇太子批判」
秋篠宮は11月29日の誕生日会見で、「記者会見という場で発言する前に、せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったか」と兄宮を批判。皇太子さまの「時代に即した公務の見直し」発言についても、「私個人としては自分のための公務はつくらない。公務は、かなり受け身的なものと考えています」と、あたかも皇太子さまが「自分のための公務」を希望されたかのような曲解に基づく批判を行い、多くの国民を凍り付かせた。「公務の見直し」は宮内庁の利権を削ぐものでもあるため、宮内庁は皇太子さまを敵視し、代わりに弟宮を持ち上げるようになったとの指摘もなされている。
■2005年12月:「こふのとり」の和歌を秋篠宮夫妻が提出
2006年1月12日の歌会始め用として、秋篠宮夫妻は前年の12月初旬に「こふのとり」の和歌を提出した。
人々が笑みを湛へて見送りし こふのとり今空に羽ばたく(秋篠宮さま)
飛びたちて大空にまふこふのとり 仰ぎてをれば笑み栄えくる(紀子妃)
公務でコウノトリ放鳥を体験した思い出を歌ったものとされるが、雅子さまのご懐妊について尋ねられた時、皇太子さまが「あまり騒がしいようですと、コウノトリのご機嫌を損ねてしまいます」と答えられたことから、国民にはコウノトリは皇太子ご夫妻のご懐妊と関連付けて記憶されている。その言葉を躊躇いもなく横取りし、第三子(男子)懐妊を手放しで喜んでいるかのように解釈できる歌である。この歌が詠まれた2005年12月にはすでに、男子懐妊治療が順調に進んでいた可能性が高いと推測される。
■2006年1月下旬:妊娠検査薬で陽性反応を確認
年が明けて1月下旬、紀子妃は妊娠検査薬で陽性反応を確認したという。超音波で胎児を確認できるのは妊娠6週目以降のため、約2週間後に宮邸で検査を受けることが決まった。両陛下はその検査結果を御所で聞きたいと希望され、葉山御用邸に行く予定を取りやめられた(週刊文春2006年2月23日号)。
■2006年2月7日:超音波検査で「妊娠6週」確認、直後にNHKスクープ
2006年2月7日、愛育病院の女医(中林正雄院長とした雑誌もある)が秋篠宮邸を訪ね、超音波検査で胎児の心拍等を確認。その検査の結果は、羽毛田宮内庁長官、および金澤一郎皇室医務主官に即刻伝えられ、間を置かずNHKがこれをスクープした。医師が確認してから5分後にNHKで速報が流れたとも言われ(要確認)、NHKと秋篠宮家の関係が疑われた。この懐妊スクープにより、国会上程寸前だった「皇室典範改正案(女帝法案)」が頓挫することとなった。
【2】「着床前性別選択懐妊」の疑い
「着床前性別選択」とは、生命倫理に反するとして、現在の日本では日本産科婦人科学会により禁止されている男女の産み分け方法です。
・着床前診断をするために取り出した受精卵に異常が見つかれば捨てる。
・異常がないとされた受精卵は分裂を続け胚となるが、女子になりうる胚も捨てられる。
・受精卵を培養て5日ほどで胚盤胞と呼ばれる着床前の状態まで発育した胚を移植する。(着床率が高い、ただし、ここまで進む可能性は全体の30~40%)
・さらに、この性別を調べた胚盤胞を子宮に戻す。
無事に着床し、出産にまで至る確率は約30%前後と言われている。皇室では男子が40年間生まれていないという状況を考えると、確率はさらに低かったと思われる。
■「不妊治療の後の自然妊娠」とアナウンス
紀子妃の懐妊発表後、主治医の坂元正一氏(愛育病院を運営する母子愛育会総合母子センター所長)は、「現在の医療技術では、体外受精をすれば産み分けは理論的には可能だが、倫理面はまた別。両殿下は今回、自然妊娠を待たれて良かったと思う」と発言している(アエラ2006年2月20日号)。また、NHKのアナウンサーは「不妊治療の後の自然妊娠ということです」とニュース原稿を読み上げている。つまり、紀子妃は「自然妊娠」だったと大本営発表がなされているわけだが、この発表をそのまま信じる人はいるのだろうか?
以下は、当ブログに寄せられたコメントの一部です。(関連コメントを順次、追加していきます)
●白々しい発言(Unknown)
紀子妃は、お許しが出るまで「東宮に遠慮していた(避妊していた)」と述べています。避妊していた人が不妊治療とは? 30代後半という年齢を差し引いても、産み分けでなく単純に第三子をということなら、2年を要したとはとても思えません。男子を産み分けるために、治療開始から懐妊まで、2年という時間を要したと普通は考えるでしょう。
●「妊娠6週」が意味するもの(Unknown)
妊娠週の数え方について意外にも知らない人が多い。「妊娠0日目」とは最終月経の開始日のことで、「妊娠4週目」を「2か月」という。「1か月」は28日、つまり4週間として考える(生理周期による)。最終月経開始日を妊娠0日として、そこから1週間(つまり月経期間)は妊娠0週目とする。よって、妊娠0~3週が妊娠1か月、4週から7週が2か月となる。排卵日(受精日)は、月経の1週間後、妊娠2週目とされる。0~3週目は等しく妊娠1か月になるから、受精した日には妊娠1か月なのだ。秋篠宮妃が「妊娠6週」とリークされたことが、いかにおかしなことか、これでわかるだろう。受精日が分かっていたということ、つまり自然妊娠ではなく準備万端整えて計画的に妊娠したということに他ならない。しかも、法案を進めようとした小泉総理に対し「おなかの子の皇位継承権を奪うのか」という言葉が出たということは、「受精卵を調べ、男子が生まれると判別できたものを紀子妃の子宮に戻し、それが着床した」ということに他ならない。
こうして国会審議は、秋篠宮夫妻によって(両陛下の指示のもと)中断された。その結果が今の混乱に繋がっている。秋篠宮夫妻、それを許した両陛下とも、民主主義の根幹をなす国会審議を潰し、倫理違反を犯したことになる。そこまでして男系男子に固執して誕生させたのが悠仁親王だ。女性宮家や女性天皇など決して認めるべきではない。男系男子である悠仁親王が1人で皇室を背負うべきだ。秋篠宮夫妻も両陛下も悠仁が1人残されて大変などと決して言うべきではない。ここで男子を誕生させたら当然そうなることは誰もがわかっていた。わかったうえで、自ら招いたことなのだから。
(コメントここまで)
ここでは、「着床前性別選択懐妊」の状況証拠についてさらに収集・追加して固めていくと共に、何が問題であるかについても掘り下げて考察していきたいと思います。ご意見・情報を、どうぞお寄せください。
このトピックでは、女帝法案を潰した懐妊が男子受精卵の着床前選択によるもの(生命倫理に反するとして日本では許されていない産み分け法)であり、同時に「皇室による政治介入」であったことを、状況証拠を集めて明らかにすることを目指します。
なぜ状況証拠かといえば、医師の守秘義務により「証明」は絶対に不可能だからです。証明不可能であることを盾に、また皇室という聖域であることを盾に、これほど大きな意味を持つ不正を看過していいのでしょうか。もしそれが事実であれば、生命倫理違反で誕生した男子が日本国の象徴となることを、国民は容認できるのでしょうか? 男系男子派は、その方法を用いて男系が継承されていくことを望むのでしょうか?
男子偏重が引き起こした「着床前性別選択」と、公営放送であるNHKが介在して行われた「皇室による政治介入」。この2つは、これからの時代の皇位継承を考えていくうえで避けては通れない問題であるはずです。しかし、マスメディアはこの重要問題についてとりあげたことはかつて一度もなく、学者も言論人も正面から論じた人は一人もいません。このままでは、皇位継承をめぐる議論は、現実から目をそらした、実の無いものとなってしまうでしょう。
このトピックは、一般庶民が入手できる範囲の情報を持ち寄って、可能な限り、傍証を固めていこうとするものです。ネットの片隅から、いま進められている皇位継承に関する論議に、異議申し立てをしようとするものです。もしここを読んでいるあなたが少しでも関連情報をお持ちであれば、どうぞコメント欄に書いて教えてください。事実関係を明らかにしていくために、お力添えを、お願いします。
まず、2003年の湯浅発言からの流れを見ていきましょう。
【1】湯浅長官「第三子発言」から、懐妊スクープによる国会頓挫(女帝法案潰し)へ
■2003年12月:湯浅利夫宮内庁長官「秋篠宮家に第三子希望」発言
湯浅長官は2003年12月、「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、三人目を強く希望したい」と述べた。この発言の意味は重い。「三人目」が女子であってはならず男子を指していることは疑いない。また、宮内庁長官といえども一役人が独断で言えることではなく、両陛下の意思を代弁した言葉であることも疑いない。つまり、両陛下が男子出産を弟宮夫妻に希望し、それを公にした、ということである。両陛下が「男の孫が欲しい」と秋篠宮に直接、内々で言えば済むはずのことが、長官に会見で言わせ「公けにした」のはなぜか? 雅子さまはこの長官発言に強い衝撃を受け、以後、長期療養に入られた。いっぽう紀子妃はこの長官発言を受け、愛育病院で(男子懐妊のための)産科治療を開始したのである。
■2004年5月:皇太子さま「人格否定発言」
皇太子さまは2004年5月、欧州歴訪前の記者会見で、「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言。雅子さまの海外訪問が制限されていたこと(籠の鳥状態にあった)などがクローズアップされ、国民の同情が集まった。世論の批判はもっぱら宮内庁役人に向かったため、東宮ご夫妻は以後、宮内庁を敵に回すことになったとも指摘された。
■2004年11月:秋篠宮による「皇太子批判」
秋篠宮は11月29日の誕生日会見で、「記者会見という場で発言する前に、せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったか」と兄宮を批判。皇太子さまの「時代に即した公務の見直し」発言についても、「私個人としては自分のための公務はつくらない。公務は、かなり受け身的なものと考えています」と、あたかも皇太子さまが「自分のための公務」を希望されたかのような曲解に基づく批判を行い、多くの国民を凍り付かせた。「公務の見直し」は宮内庁の利権を削ぐものでもあるため、宮内庁は皇太子さまを敵視し、代わりに弟宮を持ち上げるようになったとの指摘もなされている。
■2005年12月:「こふのとり」の和歌を秋篠宮夫妻が提出
2006年1月12日の歌会始め用として、秋篠宮夫妻は前年の12月初旬に「こふのとり」の和歌を提出した。
人々が笑みを湛へて見送りし こふのとり今空に羽ばたく(秋篠宮さま)
飛びたちて大空にまふこふのとり 仰ぎてをれば笑み栄えくる(紀子妃)
公務でコウノトリ放鳥を体験した思い出を歌ったものとされるが、雅子さまのご懐妊について尋ねられた時、皇太子さまが「あまり騒がしいようですと、コウノトリのご機嫌を損ねてしまいます」と答えられたことから、国民にはコウノトリは皇太子ご夫妻のご懐妊と関連付けて記憶されている。その言葉を躊躇いもなく横取りし、第三子(男子)懐妊を手放しで喜んでいるかのように解釈できる歌である。この歌が詠まれた2005年12月にはすでに、男子懐妊治療が順調に進んでいた可能性が高いと推測される。
■2006年1月下旬:妊娠検査薬で陽性反応を確認
年が明けて1月下旬、紀子妃は妊娠検査薬で陽性反応を確認したという。超音波で胎児を確認できるのは妊娠6週目以降のため、約2週間後に宮邸で検査を受けることが決まった。両陛下はその検査結果を御所で聞きたいと希望され、葉山御用邸に行く予定を取りやめられた(週刊文春2006年2月23日号)。
■2006年2月7日:超音波検査で「妊娠6週」確認、直後にNHKスクープ
2006年2月7日、愛育病院の女医(中林正雄院長とした雑誌もある)が秋篠宮邸を訪ね、超音波検査で胎児の心拍等を確認。その検査の結果は、羽毛田宮内庁長官、および金澤一郎皇室医務主官に即刻伝えられ、間を置かずNHKがこれをスクープした。医師が確認してから5分後にNHKで速報が流れたとも言われ(要確認)、NHKと秋篠宮家の関係が疑われた。この懐妊スクープにより、国会上程寸前だった「皇室典範改正案(女帝法案)」が頓挫することとなった。
【2】「着床前性別選択懐妊」の疑い
「着床前性別選択」とは、生命倫理に反するとして、現在の日本では日本産科婦人科学会により禁止されている男女の産み分け方法です。
・着床前診断をするために取り出した受精卵に異常が見つかれば捨てる。
・異常がないとされた受精卵は分裂を続け胚となるが、女子になりうる胚も捨てられる。
・受精卵を培養て5日ほどで胚盤胞と呼ばれる着床前の状態まで発育した胚を移植する。(着床率が高い、ただし、ここまで進む可能性は全体の30~40%)
・さらに、この性別を調べた胚盤胞を子宮に戻す。
無事に着床し、出産にまで至る確率は約30%前後と言われている。皇室では男子が40年間生まれていないという状況を考えると、確率はさらに低かったと思われる。
■「不妊治療の後の自然妊娠」とアナウンス
紀子妃の懐妊発表後、主治医の坂元正一氏(愛育病院を運営する母子愛育会総合母子センター所長)は、「現在の医療技術では、体外受精をすれば産み分けは理論的には可能だが、倫理面はまた別。両殿下は今回、自然妊娠を待たれて良かったと思う」と発言している(アエラ2006年2月20日号)。また、NHKのアナウンサーは「不妊治療の後の自然妊娠ということです」とニュース原稿を読み上げている。つまり、紀子妃は「自然妊娠」だったと大本営発表がなされているわけだが、この発表をそのまま信じる人はいるのだろうか?
以下は、当ブログに寄せられたコメントの一部です。(関連コメントを順次、追加していきます)
●白々しい発言(Unknown)
紀子妃は、お許しが出るまで「東宮に遠慮していた(避妊していた)」と述べています。避妊していた人が不妊治療とは? 30代後半という年齢を差し引いても、産み分けでなく単純に第三子をということなら、2年を要したとはとても思えません。男子を産み分けるために、治療開始から懐妊まで、2年という時間を要したと普通は考えるでしょう。
●「妊娠6週」が意味するもの(Unknown)
妊娠週の数え方について意外にも知らない人が多い。「妊娠0日目」とは最終月経の開始日のことで、「妊娠4週目」を「2か月」という。「1か月」は28日、つまり4週間として考える(生理周期による)。最終月経開始日を妊娠0日として、そこから1週間(つまり月経期間)は妊娠0週目とする。よって、妊娠0~3週が妊娠1か月、4週から7週が2か月となる。排卵日(受精日)は、月経の1週間後、妊娠2週目とされる。0~3週目は等しく妊娠1か月になるから、受精した日には妊娠1か月なのだ。秋篠宮妃が「妊娠6週」とリークされたことが、いかにおかしなことか、これでわかるだろう。受精日が分かっていたということ、つまり自然妊娠ではなく準備万端整えて計画的に妊娠したということに他ならない。しかも、法案を進めようとした小泉総理に対し「おなかの子の皇位継承権を奪うのか」という言葉が出たということは、「受精卵を調べ、男子が生まれると判別できたものを紀子妃の子宮に戻し、それが着床した」ということに他ならない。
こうして国会審議は、秋篠宮夫妻によって(両陛下の指示のもと)中断された。その結果が今の混乱に繋がっている。秋篠宮夫妻、それを許した両陛下とも、民主主義の根幹をなす国会審議を潰し、倫理違反を犯したことになる。そこまでして男系男子に固執して誕生させたのが悠仁親王だ。女性宮家や女性天皇など決して認めるべきではない。男系男子である悠仁親王が1人で皇室を背負うべきだ。秋篠宮夫妻も両陛下も悠仁が1人残されて大変などと決して言うべきではない。ここで男子を誕生させたら当然そうなることは誰もがわかっていた。わかったうえで、自ら招いたことなのだから。
(コメントここまで)
ここでは、「着床前性別選択懐妊」の状況証拠についてさらに収集・追加して固めていくと共に、何が問題であるかについても掘り下げて考察していきたいと思います。ご意見・情報を、どうぞお寄せください。