Quantcast
Channel: 「皇室問題INDEX」設立準備室
Viewing all articles
Browse latest Browse all 71

■検証:週刊文春記事(11/13)への宮内庁抗議--晩餐会での雅子さま無視は無かった?

$
0
0
宮内庁が11月13日付で出した「週刊文春」(平成26年11月13日号)記事への抗議がネットで話題になっており、トピックを立ててほしいというご要望がありました。宮内庁の抗議は、友納尚子氏が書いた「雅子さま“復活の笑顔”『晩餐会』直前に掛けた一本の電話」記事について、事実無根として訂正を要求するものです。

この記事には、2003年10月にメキシコ大統領を迎えた宮中晩餐の前席で、大統領に皇族を紹介をする際、「雅子妃を飛ばして秋篠宮殿下に移ってしまった」という衝撃の事実が記されています。「誰が」紹介を飛ばしたのかという主語は書かれていないのですが、それは天皇陛下でいらしたことが、宮内庁の抗議文で明らかになります。

宮内庁は、このような事実が本当にあったのかどうかを秋篠宮殿下に確認し、「皇太子妃殿下を飛ばして自分が紹介されたということは決してないと思う」とする御返事を入手。この殿下の言葉を根拠として、「国賓を迎えるという晴れの席で,天皇陛下がそのようなことをなさるという事実に反することが手記として掲載されたことは,陛下に対する礼を失する誠に遺憾なこと」であるとしし、週刊文春編集長と友納尚子氏に訂正を要求しています。

この宮内庁の抗議がネットで失笑をかっているのですが、その理由は2つあります。1つは、メキシコ大統領を迎えた宮中晩餐の前席で、雅子さまが紹介を飛ばされ衝撃を受けたという記事は昨年7月の週刊文春にも掲載されており(注1)、それについては何ら抗議がなされていないこと。もう1つは、この雅子さまの紹介すっとばし事件は、当のメキシコ大統領の回顧録(注2)に明記されているということ。そもそも、この回顧録をソースとして表に出てきたエピソードだったというのです。

回顧録の指摘が事実なら、宮内庁は鼎の軽重が問われます。この回顧録の内容確認はまだできていないのですが、現在わかっていることを注記しておきます(下段)。もしこの回顧録について何かわかる方がいらしたら、ご教示ください。追記していきたいと思います。

▼宮内庁による抗議文:「週刊文春」(平成26年11月13日号)の記事について
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h26-1113.html


【注1】週刊文春2013年7月11日号「ザ・プリンセス雅子妃物語」第45回(友納尚子著)

 =前略=ところがそんな時、雅子妃のご病気の一因とも言えるある出来事が起こったのだ。10月15日、国賓として来日したメキシコのフォックス大統領を迎えての宮中晩餐会でのことだった。メキシコ大統領夫妻は皇居・宮殿に到着した。正殿「松の間」で主催の両陛下から皇族方を順番に紹介されるのが儀礼となっていた。

「フォックス大統領は、まず燕尾服姿の皇太子を紹介されて、次はイブニングドレス姿の雅子妃の番でした。フォックス大統領が雅子妃に向かって手を差し出したのですが、隣の秋篠宮殿下が紹介されたため、一瞬、大統領の手が宙で迷われ、おかしな雰囲気でした。雅子妃は明らかに引きつった様なご表情でした。その後に運ばれてきたジュースにも口を付けておられませんでした」(元東宮職)

 この事実は、一部の外務省職員と宮内庁職員も知っていたが、公になることはなかった。両陛下と皇族は石橋の間に移動して、小泉純一郎首相を始めとした三権の長や各大臣、政財界人など百人以上から挨拶を受けた。その中の一人が語る。「この時の雅子妃は笑顔でしたが、抜けがらのようで、ご体調がすぐれないのだろうと思ったほどでした」(出席していた人物)

 豊明殿で宮中晩餐会が始まった。会場にシャンデリアが輝き、招待客は美しく花が飾られたテーブルに着席していた。雅子妃はメインテーブル中央の両陛下と国賓の横に着席された。陛下の歓迎のお言葉から始まり乾杯などの後、料理が運ばれてきた。=略= 雅子妃はゆっくりと召し上がったが、そのほとんどを残されていた。

 午後十時過ぎに東宮御所に戻られた雅子妃は、愛子さまの寝顔を見つめられながら失意の底にいた。「ご誕生されたお子さまが女の子だったことから、男子を産めない皇太子妃は必要ないというように思われたようです。ご出産後、宮内庁からすぐに第二子を期待されたことや湯浅長官による『あれほど外国に行きたかったとは』という発言などが、一気に思い起こされたのではないでしょうか。雅子妃殿下は皇統の重要性を考えると、もっと頑張らなくてはといけないと思われていた。けれども深い失意は、ご自分を責める方向にお気持ちを向かわせたと言われています」(宮内庁関係者)

 五日後の二十日は美智子皇后陛下の六十九歳のお誕生日のため、皇太子ご夫妻は御祝宴にご出席された。雅子妃はこのころ、はっきりとご体調の変化を感じられるようになっていた。宮内庁の内科医に「疲れが残っていて、朝、起きられないほど体に力が入らない」「日中もだるくて頭がぼうっとする」「突然悲しくなって、夜眠れない」「怖い夢を見て心臓が破裂しそうなぐらい動悸が止まらない」といった症状を訴えられたというが、医師の答えは決まって、「気分がすぐれなければ散歩をすれば治りますよ」「嫌なことを考えないようにすれば眠れるようになりますよ」などというものだった。

 専門医ではなかいことから仕方がない面もあるが、東宮職は専門医を捜そうともしなかった。仕方なく雅子妃は、自ら心療内科の医師に体調の相談を持ちかけることまであった。だが、東宮職の医師が雅子妃をご病気だと認定しない限り、公務は過密スケジュールのままだった。=以下略=

【注2】メキシコ元大統領(ビセンテ・フォックス・ケサーダ Vicente Fox Quesada)の回顧録

 メキシコ元大統領は本国で出版した回顧録の中で、この紹介すっ飛ばし事件を記述しているとのこと。しばらく後に雅子さまが病気と発表されたのを知り、「やはり悪い予感が的中してしまった」と嘆かれたといいます。ウィキによると、氏はイベロアメリカ大学経営学部およびハーバード大学経営コースで学んでおられ(卒業はされていないそう)、雅子さまとは同窓になります。普通に紹介されていれば、和やかにお話も弾んだでしょうに…。

▼その回顧録と思われる本『Revolution of Hope: The Life, Faith, and Dreams of a Mexican President』
http://www.amazon.com/Vicente-Fox-Quesada/e/B001IGHSCI


この件について、あなたのご意見・情報をお寄せください。
よろしくお願いいたします。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 71

Trending Articles