雅子さまのご出自について、部落解放同盟の抗議により「身元調査が中断された」というデマ、「四代前は遡れない」というデマが事実であるかのように流布されています。あげく「朝鮮人である」「被差別部落出身である」と真顔で言う人たちまで現れています。
今はまだネット限定ではありますが、ネットの嘘を信じやすい若年層は執拗に流されるこれらのデマを信じてしまう恐れがあります。デマを流布している悪意の人たちの目的は、そこ(皇室に関する常識に疎い若年層の洗脳)にあるのかもしれません。
「四代前は遡れない」は意図的に捏造されたデマであり、雅子さまのご出自は、日本国民が「わが国の皇太子妃、次代の皇后さま」として心から誇りに思えるものです。それは決して武士という「身分」が素晴らしいというのではなく、誠実で真面目で努力家で、これぞ日本人の鏡としてお手本にしたい立派な方々が、雅子さまのご先祖さまなのです。次代の天皇の妻(皇后)として、次々代の天皇候補(愛子さま)のご母堂として、これほどふさわしい女性が日本に二人といらっしゃるとは思えません。雅子さまはまさに無二の方です。
悪意のデマについて、多彩な資料をもって検証してくださっている皆さま、ほんとうに有難うございます。
●「部落解放同盟の抗議」は「素晴らしい家系」という「調査結果」に対して行われた
(by にゃーこ)2015-07
「宮内庁が雅子妃の祖先を調査している際、4代前を調べようとした時、部落解放同盟の抗議により調査が中断した」ということが事実であるかのようにネットに流布されていますが、嘘の最たるものです。実際に抗議はありましたが、それは宮内庁が「調査した結果、四代前まで素晴らしい家系だった」と発表したことに対してのものです。つまり、部落解放同盟は、「(宮内庁が)結婚に際して身元調査をした」「(宮内庁が)家系に善し悪しがあると言及した」ことに抗議したのです。「差別助長につながる」という理由で。
そもそも雅子さまは、妃殿下候補リストに掲載されていた方です。身元調査が終わって問題なしとされた方しか、リストには掲載されません。ご本人だけではなく近親者まで、経済的な問題や思想の問題、病歴まで調べたうえで何年もかけて作成されるものです。それを考えただけで、ネットのデマの馬鹿馬鹿しさがわかります。
当時、次のような報道がありました。
▼[ドキュメント・皇太子妃内定](2)専門興信所が4代前まで徹底調査(連載)東京読売新聞 朝刊(1993/01/09,)
「確かに五年前、小和田さんの調査をしました」。皇室関係一筋の老調査員が都内の事務所で重い口を開いた。宮内庁から直接、調査依頼を受けたのは東京・丸の内に事務所を構える大手興信所。(略)小和田雅子さん(29)に関する分厚い調査報告書は、作成にまる一か月かかった。直系は四代前までさかのぼり、大祖父、祖父の兄弟姉妹まで徹底的に調べた。両親については交友関係、勤務先、近所の評判も。肝心の本人は、さらに詳細をきわめた。経歴、性格、趣味、素行、健康状態……。結論は、「優秀な家系に驚いたのを覚えています。もちろんご本人も申し分ありませんでした」。このベテラン調査員が手掛けたお妃候補は、実は雅子さんだけではない。この五年間で十人以上にのぼる。雅子さんの調査書はその中でひときわ鮮明に記憶に残っているという。
抗議については、アンチブログの本元にも画像があり、それを読むことができます。
▼部落解放同盟中央本部機関誌『部落解放』(1993年6月号)
「皇太子妃決定にかかわる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」
…本年一月六日の「皇太子妃内定」の報道いらい、こうした差別撤廃、人権確立をすすめる立場から看過できない内容の報道がなされています。とくに、小和田雅子さんの「家系図」の掲載や「家柄」賛美などの過剰ともいえる報道内容、そして、「皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査」などと、宮内庁自らが公然と身元調査を指示していたことが報道されています。(中略)
私たち部落解放同盟は、今回の皇太子妃決定の経過を含めて、皇室報道はもとより、政府・宮内庁の身元調査や奉祝強要キャンペーン、過剰警備などについて、差別撤廃と人権確立の立場から深い憂慮の念を持っており、今後とも、天皇の政治的利用反対とともに、平和と民主主義の確立、差別なき社会の実現にむけて、取組みを進めていく所存です。(後略)
この文章を読んで、雅子さまの出自に問題有りだと受け取ることは不可能だと思います。しかし、身元調査について抗議した、という事実だけを語ることによって「事実誤認を誘導している」わけです。明らかに意図的で悪意にもとづく行為です。
普通の人は、皇族それも皇太子妃の出自に問題があるはずない、という常識をもっていますから、当時はほとんど気にする人は居なかったと思います。むしろ「何かっていうとアピールして目立ちたがる団体による、いつもの行為」という受け取り方でした。ご成婚の時点で、地方によっては結婚時の身元調査を条例で禁止しているところもあったようなので、抗議そのものはおかしなことではないのかもしれません。
▼東京読売新聞 朝刊 (1993/3/20)
部落解放同盟(上杉佐一郎委員長)は十九日までに、「皇太子妃決定に際し、身元調査が行われたことは結婚差別を助長する」として、皇室会議のメンバーである宮沢首相や衆参両院の議長、最高裁長官の三権の長と宮内庁長官あてに抗議文書を送った。
この上杉という人が、小和田家の家系について欺瞞性を指摘したという記事もあるようですが、ここで指摘されているのは、公表されている家系図から女性が排除されている、また、肩書きのない男性も排除されている、だからこれは家系図とは言えない、という内容のようです。歴史上の人物でも、直系ではない兄弟は書かないで系図を見せることは珍しくないですから、これは、言いがかりレベルですよね。ましてや、一般人のかかわるもの、詳細な家系図が公表されることで迷惑が及ぶ方もいらっしゃることを考えると、当然のことだと思います。時系列は次のようです。
1993年1月06日 皇太子妃決定報道
1993年3月16日 皇太子妃決定にかかわる身元調査等の差別助長行為に関する陳情書
1993年6月10日 第126回国会 内閣委員会 第7号 において同上文書記載
内閣委員会については、詳しい議事録(下記)が読めます。
▼内閣委員会議事録(1993年4月21日)(←クリックすると当該ページに飛びます)
このなかで、「皇室典範の第十条によりましで「皇室会議の議を経ることを要する。」というふうに規定されておりますところから、これらに必要な限度において調査をさしていただいたところでございます。」という答弁があります。つまり、雅子さまの身元調査は「皇室会議の前に終わっていた」ということです。
一般社団法人部落解放・人権研究所のサイト「講座講演録」(2005.12.27)には、次の記載があります。
▼「第267回国際人権規約連続学習会 世界人権宣言大阪連絡会議ニュース280号より」
Q.皇太子の結婚に際して行われた身元調査に対して解放同盟はどのような抗議や取り組みを行っているのですか。それは今回結婚した黒田慶樹さんの件にどう結びついていますか。また同企連の取り組みは今後もっと具体的な広がりが求められていると私は思うのですが、その点について動きはどうなっているのでしょうか。
A.小和田雅子さんの身元調査については起こってからかなり後で事実が分かったので、一応抗議はしましたが、それほど強力なものではありませんでした。
「起こってからかなり後で事実が分かったので」と、関係者が語っています。雅子さまの身元関連については他にもブログなどで発表されていますが、興味深かったのは問題点として指摘されていた部分です。
▼あるブログの記載
一つは八七(昭和六十二)年暮れから八八(昭和六十三)年初めに発売された一部週刊誌が指摘していたように、小和田雅子の母方の祖父・江頭豊が、日本興業銀行の銀行マンから転じたとはいえ、代表的な公害企業・チッソの社長や会長を務めていたこと。「お妃とともに全国を回らなければならぬ立場にある浩宮さまの訪問先で、水俣病の患者のムシロ旗が立つようなことがあっては」と宮内庁幹部は懸念したのである。
二つめは、三代さかのぼった中に軍人がいること。三つめは、身長が浩宮より小和田雅子のほうが高くなることへの危惧。四つめは、まったく取るに足りないことだが、彼女の妹が双子であり、もし彼女が双子を生んだ場合、皇位継承の問題が残ること。五つめは、皇室に入った女性で、仕事をした経験のある人はいない-というものだった。
(小田桐誠 『消えたお妃候補たち』)
これも、アンチが「問題があった」ということだけを流布させていますよね。富田宮内庁長官(当時)は週刊誌にこう語っているようです。
▼富田宮内庁長官(当時)のコメント
「私が(小和田さんに)反対したことはありません。ただ、当時は、いわゆる『チッソ問題』の被害者の方がまだ大勢おられました。加えて、批判勢力というか、社会運動派の人たちが(チッソの)東京本社に、押し掛けたりもしていた。そういう状況でしたから、もう少し様子を眺めたほうがいいのではないかと、そう殿下に申し上げた。殿下はそれを『わかった』といわれたのです。『おやめなさい』といったのではなく『見つめましょう』といったのです」
▼毎日グラフ(1993年1月31日号)
小和田家と同じ村上藩士の子孫で、郷土史研究家の村上城跡保存育英会の竹沢盛夫理事長(77)も、小和田家のルーツ探しに追われる日々だ。竹沢さん自身、雅子さんの父方の曽祖父、金吉さん以前の祖先がつかめていない。「ご婚約は同じ士族の子孫として大変喜ばしいこと。下級武士であったために小和田家のルーツは記録が少ないが、これで系譜を解きあかす興味が増えた」といきいきとした表情で語った。
ここで、曽祖父より前がわからないこと、「下級武士であったために」とその理由が語られています。しかし士族であることは間違いがないわけです。藩士に与えられた漁業権名簿に名前が残っています。そもそも明治維新の時に名字がある、それも、小和田という三文字の名字があるのは士族に間違いないわけです。村上藩は戊辰戦争の時にお城が延焼しているので、多くの資料が失われています。明治7年の洪水でも家財が流されて、家系図が残っていない家も多いようです。公的な資料が残っていない場合は、正式な家系図としては出せないようですから、そういう関係もあるのではないでしょうか。
身元調査といえば、銀行などは今でも行っているはずです。そして外務省も。戦前の海軍も身元の怪しい人が将軍になれるはずもないのですから、職歴を見ただけで家系的に問題などないことは一目瞭然なのですが、そういう知識がない人には、ネットの怪しい情報の方が信憑性が高いと感じられるのでしょうね。
---------
<INDEXより>この記事は別トピック「ネットのデマ検証:雅子さまに対する誹謗中傷(悪意の捏造)について」のコメント欄から抜粋しています。まだ編集途上であり、続きがあります。記事編集の進行とは別に、このトピックのコメント欄で、さらなる検証を進めていただければ幸いです。
今はまだネット限定ではありますが、ネットの嘘を信じやすい若年層は執拗に流されるこれらのデマを信じてしまう恐れがあります。デマを流布している悪意の人たちの目的は、そこ(皇室に関する常識に疎い若年層の洗脳)にあるのかもしれません。
「四代前は遡れない」は意図的に捏造されたデマであり、雅子さまのご出自は、日本国民が「わが国の皇太子妃、次代の皇后さま」として心から誇りに思えるものです。それは決して武士という「身分」が素晴らしいというのではなく、誠実で真面目で努力家で、これぞ日本人の鏡としてお手本にしたい立派な方々が、雅子さまのご先祖さまなのです。次代の天皇の妻(皇后)として、次々代の天皇候補(愛子さま)のご母堂として、これほどふさわしい女性が日本に二人といらっしゃるとは思えません。雅子さまはまさに無二の方です。
悪意のデマについて、多彩な資料をもって検証してくださっている皆さま、ほんとうに有難うございます。
●「部落解放同盟の抗議」は「素晴らしい家系」という「調査結果」に対して行われた
(by にゃーこ)2015-07
「宮内庁が雅子妃の祖先を調査している際、4代前を調べようとした時、部落解放同盟の抗議により調査が中断した」ということが事実であるかのようにネットに流布されていますが、嘘の最たるものです。実際に抗議はありましたが、それは宮内庁が「調査した結果、四代前まで素晴らしい家系だった」と発表したことに対してのものです。つまり、部落解放同盟は、「(宮内庁が)結婚に際して身元調査をした」「(宮内庁が)家系に善し悪しがあると言及した」ことに抗議したのです。「差別助長につながる」という理由で。
そもそも雅子さまは、妃殿下候補リストに掲載されていた方です。身元調査が終わって問題なしとされた方しか、リストには掲載されません。ご本人だけではなく近親者まで、経済的な問題や思想の問題、病歴まで調べたうえで何年もかけて作成されるものです。それを考えただけで、ネットのデマの馬鹿馬鹿しさがわかります。
当時、次のような報道がありました。
▼[ドキュメント・皇太子妃内定](2)専門興信所が4代前まで徹底調査(連載)東京読売新聞 朝刊(1993/01/09,)
「確かに五年前、小和田さんの調査をしました」。皇室関係一筋の老調査員が都内の事務所で重い口を開いた。宮内庁から直接、調査依頼を受けたのは東京・丸の内に事務所を構える大手興信所。(略)小和田雅子さん(29)に関する分厚い調査報告書は、作成にまる一か月かかった。直系は四代前までさかのぼり、大祖父、祖父の兄弟姉妹まで徹底的に調べた。両親については交友関係、勤務先、近所の評判も。肝心の本人は、さらに詳細をきわめた。経歴、性格、趣味、素行、健康状態……。結論は、「優秀な家系に驚いたのを覚えています。もちろんご本人も申し分ありませんでした」。このベテラン調査員が手掛けたお妃候補は、実は雅子さんだけではない。この五年間で十人以上にのぼる。雅子さんの調査書はその中でひときわ鮮明に記憶に残っているという。
抗議については、アンチブログの本元にも画像があり、それを読むことができます。
▼部落解放同盟中央本部機関誌『部落解放』(1993年6月号)
「皇太子妃決定にかかわる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」
…本年一月六日の「皇太子妃内定」の報道いらい、こうした差別撤廃、人権確立をすすめる立場から看過できない内容の報道がなされています。とくに、小和田雅子さんの「家系図」の掲載や「家柄」賛美などの過剰ともいえる報道内容、そして、「皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査」などと、宮内庁自らが公然と身元調査を指示していたことが報道されています。(中略)
私たち部落解放同盟は、今回の皇太子妃決定の経過を含めて、皇室報道はもとより、政府・宮内庁の身元調査や奉祝強要キャンペーン、過剰警備などについて、差別撤廃と人権確立の立場から深い憂慮の念を持っており、今後とも、天皇の政治的利用反対とともに、平和と民主主義の確立、差別なき社会の実現にむけて、取組みを進めていく所存です。(後略)
この文章を読んで、雅子さまの出自に問題有りだと受け取ることは不可能だと思います。しかし、身元調査について抗議した、という事実だけを語ることによって「事実誤認を誘導している」わけです。明らかに意図的で悪意にもとづく行為です。
普通の人は、皇族それも皇太子妃の出自に問題があるはずない、という常識をもっていますから、当時はほとんど気にする人は居なかったと思います。むしろ「何かっていうとアピールして目立ちたがる団体による、いつもの行為」という受け取り方でした。ご成婚の時点で、地方によっては結婚時の身元調査を条例で禁止しているところもあったようなので、抗議そのものはおかしなことではないのかもしれません。
▼東京読売新聞 朝刊 (1993/3/20)
部落解放同盟(上杉佐一郎委員長)は十九日までに、「皇太子妃決定に際し、身元調査が行われたことは結婚差別を助長する」として、皇室会議のメンバーである宮沢首相や衆参両院の議長、最高裁長官の三権の長と宮内庁長官あてに抗議文書を送った。
この上杉という人が、小和田家の家系について欺瞞性を指摘したという記事もあるようですが、ここで指摘されているのは、公表されている家系図から女性が排除されている、また、肩書きのない男性も排除されている、だからこれは家系図とは言えない、という内容のようです。歴史上の人物でも、直系ではない兄弟は書かないで系図を見せることは珍しくないですから、これは、言いがかりレベルですよね。ましてや、一般人のかかわるもの、詳細な家系図が公表されることで迷惑が及ぶ方もいらっしゃることを考えると、当然のことだと思います。時系列は次のようです。
1993年1月06日 皇太子妃決定報道
1993年3月16日 皇太子妃決定にかかわる身元調査等の差別助長行為に関する陳情書
1993年6月10日 第126回国会 内閣委員会 第7号 において同上文書記載
内閣委員会については、詳しい議事録(下記)が読めます。
▼内閣委員会議事録(1993年4月21日)(←クリックすると当該ページに飛びます)
このなかで、「皇室典範の第十条によりましで「皇室会議の議を経ることを要する。」というふうに規定されておりますところから、これらに必要な限度において調査をさしていただいたところでございます。」という答弁があります。つまり、雅子さまの身元調査は「皇室会議の前に終わっていた」ということです。
一般社団法人部落解放・人権研究所のサイト「講座講演録」(2005.12.27)には、次の記載があります。
▼「第267回国際人権規約連続学習会 世界人権宣言大阪連絡会議ニュース280号より」
Q.皇太子の結婚に際して行われた身元調査に対して解放同盟はどのような抗議や取り組みを行っているのですか。それは今回結婚した黒田慶樹さんの件にどう結びついていますか。また同企連の取り組みは今後もっと具体的な広がりが求められていると私は思うのですが、その点について動きはどうなっているのでしょうか。
A.小和田雅子さんの身元調査については起こってからかなり後で事実が分かったので、一応抗議はしましたが、それほど強力なものではありませんでした。
「起こってからかなり後で事実が分かったので」と、関係者が語っています。雅子さまの身元関連については他にもブログなどで発表されていますが、興味深かったのは問題点として指摘されていた部分です。
▼あるブログの記載
一つは八七(昭和六十二)年暮れから八八(昭和六十三)年初めに発売された一部週刊誌が指摘していたように、小和田雅子の母方の祖父・江頭豊が、日本興業銀行の銀行マンから転じたとはいえ、代表的な公害企業・チッソの社長や会長を務めていたこと。「お妃とともに全国を回らなければならぬ立場にある浩宮さまの訪問先で、水俣病の患者のムシロ旗が立つようなことがあっては」と宮内庁幹部は懸念したのである。
二つめは、三代さかのぼった中に軍人がいること。三つめは、身長が浩宮より小和田雅子のほうが高くなることへの危惧。四つめは、まったく取るに足りないことだが、彼女の妹が双子であり、もし彼女が双子を生んだ場合、皇位継承の問題が残ること。五つめは、皇室に入った女性で、仕事をした経験のある人はいない-というものだった。
(小田桐誠 『消えたお妃候補たち』)
これも、アンチが「問題があった」ということだけを流布させていますよね。富田宮内庁長官(当時)は週刊誌にこう語っているようです。
▼富田宮内庁長官(当時)のコメント
「私が(小和田さんに)反対したことはありません。ただ、当時は、いわゆる『チッソ問題』の被害者の方がまだ大勢おられました。加えて、批判勢力というか、社会運動派の人たちが(チッソの)東京本社に、押し掛けたりもしていた。そういう状況でしたから、もう少し様子を眺めたほうがいいのではないかと、そう殿下に申し上げた。殿下はそれを『わかった』といわれたのです。『おやめなさい』といったのではなく『見つめましょう』といったのです」
▼毎日グラフ(1993年1月31日号)
小和田家と同じ村上藩士の子孫で、郷土史研究家の村上城跡保存育英会の竹沢盛夫理事長(77)も、小和田家のルーツ探しに追われる日々だ。竹沢さん自身、雅子さんの父方の曽祖父、金吉さん以前の祖先がつかめていない。「ご婚約は同じ士族の子孫として大変喜ばしいこと。下級武士であったために小和田家のルーツは記録が少ないが、これで系譜を解きあかす興味が増えた」といきいきとした表情で語った。
ここで、曽祖父より前がわからないこと、「下級武士であったために」とその理由が語られています。しかし士族であることは間違いがないわけです。藩士に与えられた漁業権名簿に名前が残っています。そもそも明治維新の時に名字がある、それも、小和田という三文字の名字があるのは士族に間違いないわけです。村上藩は戊辰戦争の時にお城が延焼しているので、多くの資料が失われています。明治7年の洪水でも家財が流されて、家系図が残っていない家も多いようです。公的な資料が残っていない場合は、正式な家系図としては出せないようですから、そういう関係もあるのではないでしょうか。
身元調査といえば、銀行などは今でも行っているはずです。そして外務省も。戦前の海軍も身元の怪しい人が将軍になれるはずもないのですから、職歴を見ただけで家系的に問題などないことは一目瞭然なのですが、そういう知識がない人には、ネットの怪しい情報の方が信憑性が高いと感じられるのでしょうね。
---------
<INDEXより>この記事は別トピック「ネットのデマ検証:雅子さまに対する誹謗中傷(悪意の捏造)について」のコメント欄から抜粋しています。まだ編集途上であり、続きがあります。記事編集の進行とは別に、このトピックのコメント欄で、さらなる検証を進めていただければ幸いです。